京都には数多くの旅館がある。
コロナ以降も宿の数もそうだがエリアの部屋数は
多い状況だ。
その中でも京都で俵屋という名前は少し特別な響きを持っているのは間違いない。
豪華絢爛の派手さがあるわけではない。
主張よりも受け方の深さを感じる。



廊下を歩くと、
灯りはやわらかく、
音はほとんど聞こえない。



旅館というより、
静かな時間の中を歩いているような感覚になる。
俵屋の魅力は、
設備の豪華さではなく、
細部の整え方にあるような気がした。
部屋の灯り。
庭に落ちる影。




置かれている椅子。
本棚に並ぶ本。


どれも主張は強くない。
けれどそこにある理由が感じられる。
宿に泊まるというより、
整えられた空間の中に身を置く、
そんな感覚に近い。
京都の旅館という言葉はよく使われるが、
俵屋にいるとその言葉の意味が
少しだけ分かる気がする。
派手ではない。
けれど長く記憶に残る。
俵屋はそんな時間を
静かにつくり続けている宿だった。