中学生時代のある日。
日に日に廃れていくと感じた
「地元別府の街の今」を 何かカタチに
残さなければいけない
そう感じた時にカメラを
手に取ったことから
すべては始まりました。

アドグラフィー創業者
代表取締役 河野浩之

器用貧乏な自分からの脱却 地元別府鉄輪温泉の街の今をカタチに残さなければいけない

「何をするにしてもそこそこできるけれどそれ以上にはならない」自分でもそう感じる幼少期を送り、気が付けば中学生になっていました。
勉強もそこそこにこなし友人と普通に遊び語らう、そんなどこにでもいるような中学生だったと思います。
そんな傍ら、別府の街に生まれ育ち、幼い頃には感じなかった街の衰退を感じ始めたのもちょうどこの頃でした。
いつもと変わらない1日を送っていたある日、その日に限っていつも何気なく見ていた街の風景がいつも以上に廃れて見え、ふと「地元別府鉄輪温泉の街の今をカタチに残さなければいけない」そんな想いで頭も胸も一杯になり、絵が特段うまいわけでもない自分がどうしたらいいかを考え、カメラを手に時間を見つけては「街の今」を撮りはじめました。生まれてから、ひとつのことに無我夢中になったのはこれが初めてでした。

高校生カメラマン、個展を開く 人生で初めてであったこの個展のテーマは、
「二十世紀から二十一世紀を駈け抜ける十五歳の記録と記憶」

地元では進学校と呼ばれる高校に進学した後も、まるで憑りつかれたかのように「街の今を切り取る」ことに没頭し始め、相当数の写真を撮影しました。
この頃は、もちろん授業には出ていましたが、時間を見つけてはカメラ片手に街に出ていました。
カメラを手に取った当初から、「ある程度の写真を撮りためたタイミングで誰かに見てもらいたい」そう思っていましたが、具体的な方法はまったく考えていませんでした。今思えば向こう見ずだったなとも思いますが、ふと「個展を開いてみてもらおう」と思い、場所探しから始めました。まず、知り合いのお寺の住職に話を持ち掛けました。幸運にも住職の方に趣旨をご理解いただけ許可もいただくことができ、境内の一角をお貸しいただけました。次に、どうしたら告知できるかを考え、当然いち高校生なので十分な資金を持っているわけではないので、広告を出すわけにもいかないので、地元のマスコミに個展を開くことについて話を持っていきました。今思えば、私にとって初めてのプレスリリースがこれでした。幸いにも、マスコミにも取り上げていただけて、個展にはたくさんの方に来ていただくことができました。
人生で初めてであったこの個展のテーマは、「二十世紀から二十一世紀を駈け抜ける十五歳の記録と記憶」。自分自身の目で見て感じた「地元別府鉄輪温泉の街の今」を個展を通して多くの方に共有することができました。

プロのカメラマンへ 地方に居ながらにして圧倒的なクオリティを持った仕事をして、
地域の魅力をより多くの方に伝えていきたい

高校卒業後の進路について、友人や担任など周囲から反対の声は多数ありましたが、自分自身にとっての自然な流れとして、プロのカメラマンとして仕事をし始めました。幸いなことに、高校時代の個展を開いたことで、地元では多少知っていただいていたこともあり、ご縁もあって掲載されている写真が非常に綺麗だと評判のとある旅行誌の仕事を中心に活動をさせていただきました。この頃、九州各地のあらゆる宿の撮影の仕事を大量にさせていただき、旅行誌の編集部長に鍛えていただいたことがプロカメラマンとしての地力を引き上げていき、当時得意とは言い難かった「料理写真」が今では一番得意になったのは、間違いなくこの頃の仕事のおかげだと思っています。その後、色々な仕事をしていく中で、クライアントの要望を把握し、要件を満たす「プロのカメラマンとして恥ずかしくない写真」を撮影し納品する、この流れに当初は何の疑問も持っていませんでした。また、収入的にも食べていくには十分稼ぐことができていました。 しかし、同時に少しだけ違和感を感じていた部分が日に日に大きくなっていくのも感じていたのも事実です。
今思えば、「地方に居ながらにして圧倒的なクオリティを持った仕事をして、地域の魅力をより多くの方に伝えていきたい」という想いが芽生えたのがこの時期だったように思います。

一枚の写真の持つ魅力を引き出し最大の広告効果へ 「もっとクライアントと深く関わりを持ちたい」と
強く願うようになりました

プロのカメラマンとして仕事をし始め数年が経とうとしたある日、その違和感はもう無視ができないレベルにまで大きくなったことに気が付く出来事がありました。あるクライアントの仕事で、要望通りの写真が撮れたと思い、広告代理店へ納品した写真が、私の思惑とは全く異なる素材としての写真の使われ方をしていたのです。
もちろん、広告としては成立はしていました。しかしながら、その写真を使うのであれば、もっと他の使い方をする方が商品の良さが伝わるはずだと思っていたのも事実です。写真素材を納品する際に、「こんな風に使ってもらえると商品の良さが伝わると思います」とは伝えていたものの、広告を実際に制作するディレクターやデザイナーにその話が伝わっていたのかどうかわかりませんが、結果として、私から見てベストとは決して言えない画像の使われ方をしていました。
この時、「一枚の写真の魅力を引き出し、最大限の広告効果をもたらし、クライアントの期待に応えたい」という想いが沸き上がり、「もっとクライアントと深く関わりを持ちたい」と強く願うようになりました。

両親が経営する旅館の再生プロジェクトにコミット 顧客の要望を満たすために
写真を活かすことを他人にゆだねるのではなく、
自分がメディアに載せる広告宣伝物自体をつくりだせないものか

一枚の写真が持つポテンシャルを最大限に引き出すことで、「広告を見た人がその写真を通してその場の空気や時間を感じられ、クライアントが伝えたいメッセージが伝わる」ということをどのよにしたら実現できるかを考えるようになり、顧客の要望を満たすために写真を活かすことを他人にゆだねるのではなく、自分がメディアに載せる広告宣伝物自体をつくりだせないものか、と模索し始めました。
その頃、ちょうど実父母が経営する旅館の再生プロジェクトに関わっており、宿経営の見直しだけでなく、プロモーションの見直しも行っていました。具体的には、プラン内容の見直し、新プラン企画、価格帯見直し、料理内容の見直しなど宿経営に直結するものから、じゃらんや楽天トラベルなどのECサイトのフォトギャラリーの精査や自社サイトリニューアルのための写真撮影、ライティングまでと多岐にわたるものでした。
この時、最も苦労をしたのは、両親に対して彼らよりも宿経営の経験があるはずもない息子である自分が、旅館を再生するためにベストだと思う施策を聞き入れてもらうということでした。「身内ゆえに返って提案に耳を貸しにくい」、そういう部分は多分にありましたが、提案の意図をひとつひとつ丁寧に説明をし、納得してもらいながら進めていくということを徹底して行いました。今思えば、私のプレゼンテーション力はこの時に鍛えられたのかもしれません。
負荷がかかるからと、最初は受け入れてもらえなかった「じゃらんネット」への参画の提案も、納得してもらい実行すると結果がすぐに出始め、掲載順位が4ページ目から1ページ目にジャンプアップしたことにより、ネット経由の売上も右肩上がりで一気に伸びていきました。

そして、アドグラフィーへ 写真の持つ魅力を引き出し最大限の広告効果を発揮させることで、
顧客の売上・利益向上にコミットすることができる

両親が経営する旅館の再生プロジェクトが無事終了し、経営もV字回復することができ安堵していたちょうどその頃から、世代交代に悩みを抱える旅館経営者から、両親が経営する旅館の再生を成功させた実績を買われ、依頼を受けるようになりました。
カメラマンとしての仕事に加え、数件の旅館の事業を伸長させるアドバイザーとしての仕事もするようになり、この頃ひとつの結論に至りました。
それは、事業を行う企業が会社案内つくるように必ずと言っていいほど制作し、事業そのものの集客メディアとも言える「自社サイト構築」を自身でディレクションし手掛ければ、顧客の要望を満たす写真を撮影し、かつ顧客の要望を満たす自社サイトを構築することで、写真の持つ魅力を引き出し最大限の広告効果を発揮させることで、顧客の売上・利益向上にコミットすることができるという結論です。
もちろん、私自身に、WEBサイト構築をするデザインやプログラミングの技術はありません。だからこそ、個人ではなく、組織として顧客に、ひいては地域に貢献できるようにするために、「広告(アドバタイジング)と写真(フォトグラフィー)の融合」との意味から名付けた弊社「株式会社アドグラフィー」を設立いたしました。

別府温泉の6割、湯布院温泉の4割の宿泊施設を支援 宿泊産業を活性化させるためには、
WEBサイト構築に加え、販促支援が必要だった

旅館の支援をする仕事を通して、インターネット販売が今後の主流になることは間違いないと確信できるものでした。しかし、当時、旅館・ホテルのほとんどが、じゃらんや楽天トラベル、一休に掲載するだけで留まっているという状態でした。また、露出を高めるためという名目でOTAの営業担当者が提案する広告を、効果が得られるかどうかの確証が得られないにも関わらず、提案されるがままに購入するという旅館・ホテルも多かったように思います。
この状態を傍目に見ていた私としては、非常に危機感を覚えたのを今でも覚えています。確かに、当時OTAの台頭は非常に画期的でありましたし、旅館・ホテルにとって非常に大きな武器になるものと思いました。しかしながら、一方で、自ら主体的に集客を行わないと、結果として言われるがままに広告を購入するなどで想定外の出費が出ていく構造になっていることに強烈な違和感を感じました。
OTAの機能をもっとうまく活用すれば、過剰な広告投資は必なくとも売上を上げることが出来るという確固たる根拠があったため、WEBサイトを制作するだけでなく、OTAサイトの有効活用も含めた販促支援を開始したところ、複数の旅館・ホテルのオーナー様にご好評いただきました。これをきっかけに、WEBサイト構築に加え、販促支援サービスも手掛けるようになりました。

改装・リノベーションを含む旅館・ホテル総合プロデュース 宿の付加価値をあげるため、
改装やリノベーション、フードプロデュースなどを開始

WEBサイト構築に留まらず、販促支援サービスまで手掛けるようになってきた中で、地元大分を中心として九州エリアのお客様に対してサービスを提供してきましたが、大手予約エンジンの役員の方からのご紹介で、静岡の老舗旅館のお客様のご支援をする機会に恵まれました。この老舗旅館は全国的に知られている名宿ですが、幸いにも宿のオーナーから手掛けさせていただいたWEBサイトに対して高い評価をいただけました。この案件は、私たちの旅館・ホテルのWEBサイト構築や販促支援に関するノウハウが、全国レベルの宿泊施設でも通用するものであると実感を持てた案件となりました。これをきっかけに、全国の名宿や全国にチェーン展開をするホテルグループなどの案件を手掛けさせていただく機会をいただきました。
一方、昔から地元の大分でお付き合いのある旅館さんでは、宿としての付加価値を上げて収益体質を抜本的に見直しタイトいうご要望をいただき、客単価を上げるため、お部屋のしつらえのグレードを上げるべく、宿のリノベーションを手掛けさせていただくことになりました。また、同時に、料理のクオリティを上げるため、料理のプロデュースもさせていただきました。これまでの旅館・ホテルの販促支援で培ったノウハウをフル動員して取り組みましたが、リノベーション後、客単価・質単価が大きく向上し、それまでとは全く収益体質の異なる宿として生まれ変わりました。

旅館・ホテルのオーナーにとって最も身近なパートナー 宿泊産業を活性化させるためには、
WEBサイト構築に加え、販促支援が必要だった

旅館・ホテルのオーナーと接する中で、その想いをカタチにし、お客様にサービスを提供して喜んでいただくというのが、宿経営の醍醐味であると思います。しかしながら、この激しい環境の変化の中、旅館・ホテルの経営の舵取りはこれまで以上に難しい局面が多くなってきているようにも思います。
カメラマンとしてキャリアをスタートした私が、旅館・ホテルの本質的な支援がしたいと思い、WEBサイト制作を仲間と共に手掛けるようになり、そこから発展して、販促支援を行うことで、直接的に旅館・ホテルの売上・利益の向上を支援するようになりました。さらにそれを発展させ、現在では、宿としての付加価値を高めるための旅館・ホテルの総合プロデュースも手掛けるようになりました。
これまでと同様に、旅館・ホテルのオーナーの想いをカタチにするために、出来ることを愚直にかつただひたすらに追求してきた結果ではありますが、まだまだ十分だとは思っていません。
私が目指すもの、そして、アドグラフィーが目指すものは、旅館・ホテルの支援を通して、地域全体が良くなるというものです。言葉でいうのは簡単ですが、その道のりは険しく、高みに到達するためには、更なる努力が必要です。しかし、一方で、まったく届かないとも思っていません。
これからもブレることなく、愚直に、そしてただひたすらに努力を重ねていきたいと考えています。

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