別府の駅前を歩いて、大分のことを考えた

私は大分県別府が地元である。
普段の生活のなかに別府の駅前がある。
日々その周辺は仕事でも生活圏でも
何度も行き来している。
ただ地方の生活は車での移動が
基本なのでこのあたりを自分の足で歩くことは
意外と少ない。
ふとこの街を観光客はどう歩いているんだろうと
思って少し時間をとって
あえて駅前を歩いてみることにした。
───
駐車場に車を停めて駅前を歩いた。
久しぶりにこの辺りに駐車してみて代金を
みると1日(24時間)停めて1200円となる。
街をぶらつくには400円だった。
今回は別府駅西口側に駐車した。

別府駅西口側

各拠点へとつながるバスもある程度充実している

構内含めリブランドされている

カフェ機能もありちょっとした暇も潰せる
最初に目に入ったのは両手を大きく
広げた銅像だった。
別府観光の父と呼ばれる油屋熊八さん。
満面の笑みで空を仰ぐようなポーズで駅に降り立つ人を迎えている。
この人がいなければ別府はいまの
別府にはなっていない。
温泉という資源ではなく温泉を体験する仕組みと物語を作った人だった。

油屋熊八の像

油屋熊八の像と手湯(※観光の方が多く中は撮影出来ず)
銅像を背中にして少し歩くと色々な景色が広がる

大分の人には馴染み深いかもしれない吉四六さんイラスト
またすぐそばに駅前高等温泉がある。
ガラス戸にぬる湯とあつ湯の文字が並び入口の岩には手湯がしつらえてある。
駅を出て歩いて数分で
源泉かけ流しの温泉に入れる街。
ここまでは別府らしい。

おなじみ高等温泉

浴場としても渋いので是非
そこから少し歩くと空気が変わる。
───
商店街に入るとスナックの看板や
赤い照明が路地の両側に残っている。

人々が集う場所としてソルパセオ銀座ショッピングストリート

地元商店街

商店街の中は歩行者天国

駅前通りの景色
年季の入った木の外壁。

路地裏
電線が頭上で複雑に絡み合って
その隙間からわずかに空が見える。
昭和の歓楽街が
そのまま残っているような通りだ。

別府の路地裏

別府の路地裏

別府の路地裏

別府の路地裏
人の姿はほとんどない。
別の通りには電飾の看板がまだ光っていた。
映画館の名前も見える。

別府の歓楽街
アーケードの奥に人影がひとつふたつ。
かつてにぎわっていたであろう通りの
骨格だけが静かに残っている。
足元の石畳は濡れていて
青みがかった光を反射して
誰かの訪れを待っている。

誰かを迎え入れるための準備は整っている
───
竹瓦温泉の前に出た。
そり上がった大きな屋根に木造の重厚な構え。
のれんが下がっている。

竹瓦温泉

竹瓦温泉
ここだけは時間が止まったように凛としていて
別府のなかでも特別な空気がある。
ただその周辺を見回すと竹瓦温泉に来るための
動線が街とつながっていない。
ここにたどり着くまでのあいだに
立ち寄る場所がない。
目的地としては成立しているけれどそこに
至る道のりが体験になっていない。
歓楽街の中にポツンと
出てくるのだからそれも仕方ない。
その周辺には神社もあった。

波止場神社

街を歩いて気がついたのがちょっとした看板がいくつも設置されている点だ。

夜飲みに出て気づくことはないと思う。
───
べっぷ駅市場のリニューアルが進んでいた。
ネオンサインが新しくなっていて
BEPPU STATION MARKETの文字が
赤く光っている。
壁面には温泉を思わせる曲線のグラフィック。

べっぷ駅市場 外観

べっぷ駅市場 内観
中に入ると木の内装に
イルミネーションが灯り奥へと続く通路に
見慣れたぶたまんの店の赤いのぼりも見えた。
あとから調べてみると
1966年の駅高架化に合わせて整備された市場で
半世紀以上の歴史がある。
地元で当たり前にあるとその歴史もありがたみも薄れてしまうがとても貴重な場所である。
未だ精肉店や鮮魚店が並ぶ生活商店街として
店舗が入っていた。
地元にいても深掘れていない
知らないことは多々ある。
新しい照明の下を歩きながら思ったのは
ここには通り抜けたくなる空気が
ちゃんとあるということだった。
目的の店がなくてもなんとなく
奥まで歩いてしまう。
この感覚は他の通りにはなかった。
───
ここまで歩いてきてふと考えた。
別府は日本一の温泉地だとよく言われる。
源泉の数も湧出量も泉質の種類も
数字の上では確かにそうだ。

別府温泉は源泉や湧出量共に日本一である
でも日本一って何だろう?
温泉に入ればそのすごさはわかる。
それは間違いない。
けれど温泉に入る前と後の時間に
この街を歩いてここは日本一の場所だと
身体で感じる瞬間がどれだけあるかと問われると
正直まだ少ないように思う。
日本一の資源があることと日本一の
体験ができることは同じではない。
───
これは別府に限った話ではない。
地方の温泉地で繰り返されてきた構造がある。
観光客は来ている。
宿は埋まっている。
でも街には降りてこない。
客は宿の中で完結してしまい周辺の
エリアにお金が落ちない。
宿泊消費額はあっても街全体の回遊消費には
つながっていない。
大分県の観光消費額や平均宿泊日数は
全国平均より低い水準にあるという話がある。
人は来ているのに消費が薄い。
これは集客の問題ではなく滞在の設計の
問題だと思う。
───
マーケティングの言葉に置き換えると
別府は認知と来訪のあいだに問題はない。
知られてもいるし人も来ている。
問題はその先にある。
回遊と滞在と再訪の設計が
まだ街全体としてはできていない。
観光客が街を歩くには理由が要る。
買う理由、
寄る理由、
写真を撮る理由。
それは必ずしも新しい施設や
イベントでなくていい。
むしろすでにそこにあるものの見せ方を
変えるだけで動線は変わることがある。
駅市場のリニューアルにはその片鱗が見えた。
あの通路の空気感は歩くこと自体を
体験に変えていた。
一方で竹瓦温泉のような圧倒的な建物があっても
そこに至る道がただの移動でしかないなら
街全体の滞在時間は伸びない。
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別府の駅前を歩いていて感じたのは
この街に足りないのは資源ではなく
資源と資源のあいだをつなぐ
文脈ではないかということだった。
竹瓦温泉と駅市場と路地裏のスナック街と
駅前高等温泉がひとつの体験として
つながっていない。
それぞれが点として存在していて線にならない。
街の魅力というのはたぶんそういう
つなぎの部分に宿る。
宿の魅力が客室や料理だけでは
決まらないのと同じように街の魅力も
個々のスポットだけでは決まらない。
あいだにあるもの。
動線のなかで出会うもの。
全ては予定調和ではない
そういうものがそろって
初めてまた来たい街になるのではないだろうか。
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宿の仕事をしていると
つい宿の中のことばかり見てしまう。
でもたまに宿の外に出て街を歩いてみると
見えてくるものがある。
お客さんがチェックアウトしたあと
どこへ向かうのか。
チェックインの前に何をしているのか。
その前後の時間街がどんな場所になっているのか。
宿の評価は宿の中だけでは決まらないし、
街の印象が宿の印象に混ざるものだ。
そのことを別府の駅前で改めて感じた。
