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正しい答えと心を動かす答えのあいだにあるもの

正しい答えと心を動かす答えのあいだにあるもの

最近ふと思うことがある。
正しいことを積み重ねたその先をどう描くか。
そこには論理では
解決できない何かがあるのではないかと。
仕事でも日常でも「それは正しい」と言われる
説明にどこか引っかかりを覚えることがある。
理屈は合っている。
数字も整っている。
順序もきれい。
それなのになぜか気が乗らない。
正しい答えは判断を助けるが
行動を生むとは限らない。

───

多くの場合正しさは過去の積み重ねから導かれる。
実績、前例、理論。
だから再現性が高く説明もしやすい。
けれど人が動く瞬間は
必ずしも正しさの上にだけ立っていない。
納得と理解はしている。
でも動かない。
そういう場面に何度も出くわしてきた。
逆に理屈は少し粗いのになぜか腹落ちして動いてしまうこともある。
その差は何なのかをずっと考えている。

───

心を動かす答えには、
少し曖昧な部分が残っている。
完全には説明しきれない違和感。
言語化しきれない何とも言えない感覚。
その人自身の立場や迷いや熱。
それらが混ざっているから聞き手は
自分事として受け取れる。
正しい答えは外側から与えられる。
心を動かす答えは内側に触れてくる。
この違いは思っている以上に大きい。
正論は反論しづらい。
けれど同時に距離も生まれやすい。
正しいことを言われれば言われるほど「わかっているけど」という言葉が浮かぶ。
心が動いたとき人は反論ではなく
自分の中で考え始める。
問い直しが起きる。
その状態に持っていけるかどうかが、
伝わるかどうかの分かれ目なのだと思う。

───

そのあいだにあるものは余白だ。
断定しすぎない、結論を急がない相手が自分なりの意味を差し込める余地を残すこと。
正しさを削るのではなく、
正しさの輪郭を少しだけゆるめる。
仕事の提案でも説明でも文章でも正しいかどうかだけを磨きすぎると届かなくなることがある。
言葉が滑っていく。相手の中に残らない。
逆に心を動かそうとしすぎると
根拠が薄くなり信頼を失うこともある。
どちらかに振り切ればいいという話ではない。
そのあいだを行き来しながら、
どこに言葉を置くかを探す。
正しさと余白の配分を調整する。
その繰り返しが
たぶん伝えるということなのだと思う。

───

正しい答えと心を動かす答えのあいだには、
感情でも論理でもないもうひとつの判断軸がある。
それは相手がその答えを持ち帰れるか?
この視点なのかもしれない。
渡すだけでは届かない。
受け取ってもらって初めて届く。
そのために正しさをどう内包し余白を置くか。
答えを出すことよりも、
答えの届け方や伝えるということを
考える時間のほうが
長くなってきた気がする。

佐藤弘明
佐藤弘明
常務取締役

旅館支援歴16年|集客・ブランド設計・運営改善まで現場密着伴走|旅館業界のリアルな現場から生まれる気づきや宿の未来を共につくるための視点を日々発信しています。

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