見えにくいものを売ることについて

ここ数年旅館の相談を受けるなかで、
繰り返し耳にする言葉がある。
うちの良さって伝わりにくいんですよね。
設備が新しいわけでもない。
有名な観光地に面しているわけでもない。
料理に特別な食材を使っているわけでもない。
でも泊まった人は満足して帰っていく。
リピーターもいる。
なのに新規のお客様には選ばれにくい。
この伝わりにくさの正体は何なのか。
そしてそれは宿だけの問題なのか。
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たとえば、静かであること。
たとえば、干渉されないこと。
たとえば、なんとなく居心地がいいこと。
これらは写真にしにくい。
キャッチコピーにもしにくい。
比較サイトの検索条件にも出てこない。
けれど泊まった人がまた来たいと思う
理由の多くはむしろこういう領域にある。
数値化できない。
言語化しても陳腐になる。
でも確かに存在している。
───
世の中全体が、
似たような構造に向かっている気がする。
サービスでも、
商品でも人でも。
わかりやすく説明できるものが選ばれやすく、
そうでないものは存在しないかのように扱われる。履歴書に書けるスキル、
SNSで映える体験、
レビューで星がつく要素。
そこに乗らないものは、
評価の土俵にすら上がれない。
効率という意味ではそれは正しい。
選ぶ側の時間は有限だから、
比較可能な指標があったほうが便利だ。
でもその結果として、
比較できないものの価値が見えにくくなっている。
───
興味深いのは、
見えにくいものの価値を知っている人は
確実にいるということだ。
数字で測れない心地よさ。
説明されなくても感じる配慮。
名前のつかない空気。
それを求めてわざわざ足を運ぶ人がいる。
ただその人たちは声が大きくない。
レビューを書かないことも多い。
だから外からは見えにくい。
届いている人には届いている。
でも届いていることが可視化されない。
───
ここでだから発信を
頑張りましょうという話にはしたくない。
発信すれば届くという前提自体が、
すでにある種の偏りを含んでいる。
言葉にできるものだけが
価値を持つという暗黙の了解。
それに乗れないものは発信の工夫では
どうにもならない部分がある。
むしろ考えたいのは、
見えにくいものを見えにくいまま
届ける回路がどこかにないのかということだ。
説明しすぎない。
でも気配は伝わる。
そういう届け方。
───
小さな宿の話に戻れば、
たぶんそれは誰に届けたいかを絞ることと近い。
全員にわかってもらう必要はない。
わかる人にわかる形で届けばいい。
そのためにはわからない人に向けた説明を
極力減らすことが、
むしろ必要になる場合もある。
引き算の設計、余白の設計。
それは宿に限らず、
今の時代に何かを届けようとする人
すべてに関わる問いのような気がしている。

