シンプルアンドエレガンスという言葉から考えるこれからのラグジュアリー

ある雑誌でふと目に留まった言葉に、
しばらく視線が止まった。
何度も何度も目で追いかけ声に出したくなった。
「シンプルアンドエレガンス」
強いコピーでもなく、
声高に主張する言葉でもない。
けれどその並びだけで、
いくつかの感覚が立ち上がってきた。
これからのラグジュアリーとは何か。
その答えを探す中で、
高級、贅沢、上質、洗練といった言葉を
行き来していたからかもしれない。
シンプルだけではどこか頼りない。
エレガンスだけでは少し構えてしまう。
そのあいだに、
行き来しやすい場所がある。
この言葉はそこを指しているように感じた。
───
ラグジュアリーという言葉は、
ここ十数年でずいぶん重たくなった。
価格。
希少性。
排他性。
それらを否定するわけではないし
安易に使ってきた側面ももちろんある。
前に出しすぎた瞬間、
多くの人にとっては
自分の感覚から遠ざかってしまう。
一方でシンプルという言葉もまた、
使われすぎてもはやぼやけている。
簡単。
最低限。
余計なものがない。
本来は違うはずなのに、
便利な逃げ道として使われることも多い。
だからこそシンプルとエレガンスを並べたとき、
その間に緊張感が生まれる感覚が新鮮に感じた。
───
シンプルとは削ることではない。
エレガンスとは飾ることでもない。
どちらも選び続けた結果として残るものだ。
何を置かないか。
どこまでやらないか。
どの余白を残すか。
判断の積み重ねが、
空気として滲み出てくる。
それは分かりやすい贅沢とは違う。
説明されなくても伝わる質感に近い。
───
ここでいうラグジュアリーは、
語るためのものではない。
派手な演出より間合い。
新しさよりちょうどよい古さ。
量より密度。
それらが自然につながったとき、
人はそれを特別だと感じる。
───
宿泊業に置き換えると
この感覚はより具体的になる。
設備の多さでも、
装飾の強さでもない。
部屋に入った瞬間の空気。
音の少なさ。
照明の強さ。
人との距離感。
それらが無理なくつながっているとき、
人は説明を必要としない
世界に没入できるのではないだろうか。
ラグジュアリーを提供しているというより、
ラグジュアリーな時間が成立している状態。
───
シンプルアンドエレガンスという言葉は、
どちらかに寄り切らない。
強すぎず、
軽すぎず。
その曖昧さこそが、
今の時代にはちょうどいい。
目立つための言葉ではなく、
選び続けるための言葉。
言葉として踊るラグジュアリーがあるとすれば、
それは声を張らず静かに残るものなのだと思う。
───
これからのラグジュアリーは、
誰かに見せるものではなく、
自分の時間をどう扱うか
という感覚に近づいていく。
シンプルであること。
エレガンスを忘れないこと。
その二つを同時に保つ難しさの中に、
長く残る価値が宿る。
シンプルアンドエレガンス。
この言葉が静かに響く場所は、
これから確実に増えていく気がしている。

