名前のつかない空気について

最近リヴァイヴァルという言葉を
あまり耳にしなくなった。
少なくとも前面に出て語られる感じではない。
ただ空気としては確実にあるように思う。
誰かが旗を振っているわけでもなく、
流行語として整理されているわけでもない。
けれどあちこちで似たような動きが
同時に起きている。
過去の音楽。
少し古いデザイン。
かつて当たり前だった所作や時間の使い方。

それらが懐かしいものとしてではなく、
今の感覚で選び直されているように見える。
※さりげなく挿入したのはちあきなおみの喝采だ。
今聞いても古くないなのか今だからいいのか
もう一度振り返り見出す行為に近い。
───
たとえばアナログレコードが伸びているという
話がある。
三十五年ぶりの水準という数字だけを見ると、
復活!という言葉をつい当てたくなる。
けれど実際に触れてみると、
そこにあるのは過去への回帰というより、
今の生活の中での位置づけ直しだ。
音楽を効率よく聴くためではなく、
時間をどう過ごすかを選ぶための
道具として使われている。
同じことはファッションや空間、
飲食の世界でも起きている。
───
面白いのはこの動きがあまり
言語化されていないことだ。
リヴァイヴァルだと名指しされる前に、
感覚のほうが先に動いている。
昔のものが良いから戻る。
そういう単純な話ではない。
過去の要素が今の編集素材として扱われている。
それが自然すぎて
わざわざ名前をつける必要がない。
そんな段階に入っているように感じる。
───
背景にあるのは過去がいつでも
参照できる環境だろう。
配信やSNSによって、
音楽も映像も思想も新旧の区別なく並んでいる。
時代がある意味で並列化されている感覚だ。
新しいかどうかより今の自分に合うかどうか。
その基準で選ぶとき過去は非常に
扱いやすい素材になる。
すでに意味がついている。
評価も履歴もある。
そこに少しだけ今の感覚を重ねれば、
自分の言葉になる。
───
世代ごとに見え方が違うのもこの空気の特徴だ。
若い世代にとっては、
体験していない時代の発見。
中間層にとっては記憶の再編集。
上の世代にとっては目利きとしての回収。
同じ空気を吸っているのに、
使っている素材が違う。
だから国内外で同時に起きているように見える。
───
この流れをあえて宿に置き換えて考えると、
少し視界が開ける。
古い建物。
土地の記憶。
昔から続くしつらえ。
それを保存するか、
刷新するかという二択ではない。
今の感覚でどう編集するか。
どこを残しどこをずらすか。
懐かしさを売るのではなく、
過去を素材として今の滞在を組み立てる。
その姿勢自体が、
この名前のつかない空気とつながっている。
───
リヴァイヴァルという言葉は、
たしかにあまり聞かれなくなった。
けれど言葉にされていないからこそ、
この空気は長く続くのかもしれない。
流行ではなく選び方の変化として。
過去を消費するのではなく、
過去を使って現在をつくる。
そんな静かな動きが、
今確かに広がっているように思う。
そんな空気をあえてリヴァイヴァルという言葉で
内包することも野暮なのかもしれない。

