観光地は増やすより、抱え続ける局面に入ったのかもしれない

先日三重県菰野町・湯の山温泉エリアを歩く
機会があった。
御在所ロープウェイの乗り場まで徒歩数分。
観光地としての軸が、
これ以上なくはっきりしている場所だ。
御在所岳とロープウェイ。
四季で表情を変える山の景色。
そこに温泉と食を組み合わせた
アクアイグニスが加わり、
日帰り需要も含めた強い集客装置が成立している。


数字を見てもそれは裏付けられている。
三重県の統計によれば、
菰野町の観光入込は令和5年で約185万人。
一方で延べ宿泊者数は約18万人にとどまる。
日帰りは多いが泊まりは強くない。
https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/001144245.pdf
強い目的地を持つ近距離温泉圏とでも言えそうな
日帰りの強いエリア特有のお忍び感も
街全体から伝わってくる。
───
街の地力と背後にある人口。
もう一つはこのエリアを
考えるうえで無視できないのが人口だ。
菰野町の人口は約4万人。
ただし実質的な商圏は四日市市まで含めて
考えるほうが自然だろう。

四日市市は約30万人規模。
臨海部コンビナートを中心とした産業基盤を持ち、
出張・工事・研修といった
平日需要が常に発生している。

ただし湯の山温泉は完全な
ビジネス温泉地ではない。
ロープウェイに近いという立地特性を考えると、
平日需要も仕事そのものより、
仕事よりも少しレジャーを足す動機づけのほうが
自然に見える。
───
歩いて気づいた、廃墟という存在
また実際に歩いてみて、
一番気になったのはエリアとして
廃墟が多いことだった。
かつて宿や観光施設だったであろう建物が、
時間だけが止まったように残っている。
壊すにもお金がかかる。
そのまま残しておいても、
すぐに使い道が見つかるわけではない。
どちらにも転べない状態。
最近全国各地の温泉地や観光地で、
同じ課題が顕在化しているという記事を目にした。

この記事を読んで感じたのは、
廃墟は衰退の象徴というより、
判断を保留されたままの
観光資産なのだということだ。
再生したくても、
資金、担い手、用途、責任の所在。
どれか一つ欠けただけで動かない。
だからといって、
すぐに壊す決断もできない。
結果として、
街の中に宙づりの場所が増える。
記事によると全国に実に
300軒程度存在するとのこと。
───
ある意味で観光地は
増やすフェーズを終えたのかもしれない
これまでの観光地づくりは、
新しい施設をつくる
新しいコンテンツを足す
新しい言葉で語り直す
という基本的には足し算が中心だった。
だが今は少し空気が違うのかもしれない。
すでにあるものをどう活かすか。
動かなくなったものをどう抱えるか。
街としてどこまで責任を持つのか。
そうした問いの比重が、
確実に大きくなっている。
廃墟は単に使われていない建物ではない。
この街はどこまで観光として抱えるのか。
どこから先は無理をしないのか。
誰が意思決定をするのか。
そうした問いを、
無言のまま突きつけてくる存在でもある。
───
回遊は点ではなく関係でつくられる
このエリアには回遊の材料自体は揃っている。



ただし重要なのは、
これらを全部行けますと並べることではない。
誰が
どの順番で
どんな時間感覚で
どこまで関わるのか。
回遊は点の数ではなく、
面の設計で決まる。
───
これからの観光地に必要なのは余白の設計
かもしれない。
観光地と街が共存するという言葉はよく使われる。
だが実際にはその調整は言うよりも簡単ではない。
観光を優先すれば生活が歪む。
生活を守れば観光が弱る。
その間にあるのは、
白か黒かではない、
判断を急がない余白であり余力だと思う。
どうみても廃墟はすぐに再生しない。
無理にコンテンツ化しない。
ただ消さずに抱え続ける。
それもまた、
これからの観光地の一つの
あり方なのかもしれない。
そう思わざるを得ないぐらいの佇まい。

20年以上前に廃業した鶯花荘
───
観光地は何かを派手に変える前に、
すでに持っているものと
どう付き合い続けるかが問われている。
湯の山温泉を歩きながら、
そんなことを考えた。
増やすより整える。
急ぐより抱えること。
これからの観光は、
その判断の積み重ねが、
街の輪郭そのものを形づくっていくのだと思う。
温泉宿としての強みや弱みを考えていく中で
考えさせられることが多かったエリアであった。
廃墟が目立つ一方で、
街そのものは止まってはいなかった。
完璧ではない形でそれでも確かに
呼吸を続けている。
この状態を
足りないと見るのか、
まだ残っていると見るのか。
その視点の違いが、
次の一手を大きく変えていくように思う。
温泉地に必要なのは、
新しい正解を探すことよりも、
今ある営みをどう引き受け繋げていくか、
必要なのは覚悟なのかもしれない。
磨くとは、
何かを足すことではなく、
見落とさないことだ。

