旅館経営における逆張りの美学。効率化の波に抗う宿が選ばれる理由

湯河原のふきやさんを久しぶりに訪れた。
変わらない空気がある宿というのは、
どこか時間の流れ方が違う。
フロントの佇まい、
玄関に漂う香り、
中居さんの声のトーン。
どれもが、長い時間の積み重ねを感じさせる。
同じ「変わらない」という言葉の中にも、
緊張感をもって守っているものと、
ただ惰性で続いているものがある。
ふきやさんの空気は、明らかに前者だった。
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① 変わらないことは、難しいこと
多くの宿が「新しくしなければ」と焦る時代に、
変わらないことを選び続けるのは勇気がいる。
それは「古さ」ではなく「信念」だ。
変えないためには、
日々の現場で変えている部分がある。
掃除の仕方、料理の所作、言葉のかけ方
そうした一つひとつの積み重ねが、
宿全体の空気を整えていく。
特に印象的だったのは、料理の世界だった。
器の選び方、盛り付けの重心、
全体を通して見える心意気の美。
それは単に技術や伝統の継承ではなく、
現在の社長の心意気と美学そのものが
宿っている。
料理だけで完結せず、
器との調和で完成する一皿。
その一皿に、宿としての「覚悟」が滲んでいた。
「変わらない」とは、
何もしないことではない。
見えないところで、
少しずつ手を入れ続けることなのだと思う。
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② 宿というのは、「人の気配」でできている
ふきやさんのスタッフを見ていると、
数字では測れない“人の気配”がある。
それは、
マニュアルや作法よりも、
お客様の気持ちの変化を感じ取って動くという
仕事の姿勢。
宿泊業を数字で語るとき、
RevPARもADRも大切だが、
それを動かしているのは、
極論人の感性なのだと思う。
どんなに効率化しても、
そこに間や心の通いがなければ、
宿は宿でなくなる。
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③ 本物とは、貫く覚悟のことかもしれない
この数年、本物の宿という言葉をよく耳にする。
けれど本物とは、完成された姿ではなく、
今の時代に合わせながら、
自分の美学を貫く覚悟だと思う。
古い建物を守りながらも、
お客様の変化に耳を澄まし、
必要なときにはためらわずに変える。
それができる宿だけが、
時代を超えて本物であり続けるのだろう。
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④ 逆張りの中にある、本物の光
現代は何ごとも効率や合理化が
求められる時代だ。
セルフチェックイン、
ベッドメイクの外注化、
簡素化された料理の提供、
それらは決して悪いことではない。
けれど便利で早いことだけが
正しいとも限らない。
旅館という存在を突き詰めていくと、
部屋食で、布団で眠り、
人が運び人が整えるという「非合理」に行き着く。
その不便さの中にしかできない
豊かさが確かに存在している。
いまの世の中では、
むしろ逆張りこそが本物なのかもしれない。
効率ではなく、丁寧さ。
合理ではなく、手間をかけること。
それを貫くことが、宿の矜持であり、
日本の旅館文化の誇りなのだと思う。
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⑤ 支援者としての自分に返ってくる問い
「支援する」とは、
相手を動かすことではなく、
相手の中にある“意志”を引き出すことだ。
私は宿を経営しているわけではない。
けれど支援を通して、
宿が何を大切にしているのか、
どんな思いで続けているのかを見つめ直す時間をいただいている。
ふきやさんで感じた人の気配と非合理の美しさを、
これから出会う宿にも伝えていけたらと思う。
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