修学旅行の今とこれから
京都の街を歩いていると、
国内外からの観光客のなかに、
今も変わらず修学旅行生の姿がある。
制服姿のその列に、
私はなぜだか目が止まってしまう。
彼らの多くは、はじめての京都かもしれない。
大人になってからまた来るかはわからない。
けれど、
その体験が心に残ったとしたら…
その宿の畳の感触や朝の味噌汁の湯気が、
「また行きたい京都」の種になっていたとしたら。
修学旅行とは、
じつは未来の観光を形づくる“静かなプロモーション”なのかもしれないとも感じている。
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しかし現実は、そう甘くない。
2023年京都に訪れた修学旅行生は約81万人。
コロナ禍前に戻りつつあるその数字は、
教育旅行の強さを物語っている。
けれど受け入れ現場の声を聞くと課題も多い。
価格設定は低め。
時に連泊ではなく短時間の滞在。
団体対応によるオペレーションの負担。
現場の疲弊や経済的な採算の厳しさを
耳にすることも少なくない。
理想は、教育と観光の融合。
でも現実は採算ギリギリの受け入れ体制。
そんなジレンマの中に、京都の“いま”がある。
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でも私は、それでも修学旅行を軽んじるべきじゃないとも思っている。
その理由は、
あの子たちが「未来の観光客」だからだ。
家族を連れて再訪するかもしれない。
仕事で京都に来たとき、
思い出の旅館を検索するかもしれない。
あるいは、SNSで「懐かしい」と誰かにシェアするかもしれない。
観光地のブランディングとは、
情報ではなく“記憶”なのだ。
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そこで一つ、あえて斜めの提案をしてみたい。
修学旅行を旅館や地域の広告メディアと
捉える発想だ。
たとえば──
①修学旅行生が帰宅後、保護者に贈る「旅のおすそ分け」DM
②滞在中に書いた手紙が数年後に届く「未来からの再訪キャンペーン」
③もう一度泊まりたい旅館”を決めるクラス投票×プレゼント企画
そんな発想ができれば、
「一度きりの安い宿泊」ではなく、
「何年越しでも帰ってきたくなる記憶」として、
宿が心に残る。
教育旅行だからこそできる、深くてあたたかい導線があると思う。
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宿はサービス業であると同時に、
人の心に残る“場所”でもある。
目の前の採算だけでなく、
10年後の再訪を信じておもてなしをする。
それは少し理想的すぎるかもしれないけれど、
私はそういう宿のあり方に未来を感じている。