人の働き方を見ていると同じ仕事でも、
年齢によって働くの感じ方が
違うのだろうと思うことがある。
若い頃は多少無理をしてでも
前に出たい時期がある。
仕事を覚えることや経験を積むこと。
誰かに認められることなどに
気持ちが向く時期がある。
それはそれで自然なことだと思う。
けれど年を重ねると
見ているものが少しずつ変わってくる。
家族のことが気になる人もいる。
親のことが頭をよぎる人もいる。
自分の体力の落ち方に先に気づく人もいる。
老後のことがふと現実味を帯びてくる人もいる。
そうなると働くということは、
仕事のやりがいや収入の話だけではなくなる。
暮らしをどう支えるか。
これから先をどう持ちこたえるか。
どこまで無理ができてどこから
無理がきかなくなるのか。
そういうことまで含めて仕事を考えるようになる。
ワークライフバランスという言葉が広まったのも、
たぶんそういう現実があるからなのだと思う。
きれいに仕事と生活を分けるためというより、
もうそのふたつを別々には語れない人が増えた。
だからこそこの言葉が必要になったのではないか。
今回はこの言葉がなぜ
広く使われるようになったのかを
少しほどきながら
最後にワークライフバランスは
本来ひとつの正解ではなくそれぞれの
人生の段階で姿を変えるものなのではないかというところまで考えてみたい。
ワークライフバランスは最近らしい顔をしている
ワークライフバランスという言葉にはどこか最近らしさがあると
勝手に思っている。
働き方改革、テレワーク、副業もかな。
そういった言葉と並んで語られだしてから
加速して広がった言葉の様に思う。
けれどこの言葉が社会に広がった背景を考えると、
単なる流行り言葉という感じではない。
仕事ばかりで暮らしが立ち行かなくなる。
家庭や健康に無理が出る。
育児や介護と仕事の両立が難しくなる。
そうした現実が積み重なったからこそ、
働くことと生活することを同時に考えるための言葉が必要になった。
つまりこの言葉は新しそうに見えて、
実際にはかなり切実な事情から生まれてきたのだと思う。
なぜこの言葉が必要になったのか
昔より働き方が自由になったと言われることがある。
たしかにそういう面もある。
けれどその一方で昔より生き方の組み合わせが複雑になったとも言える。
共働きが当たり前になってきた。
子育てをしながら働く人が増えた。
介護を抱えながら仕事を続ける人もいる。
一つの会社で定年まで働くことだけが前提ではなくなった。
学び直しや転職も珍しいことではなくなってきた。
そうなると仕事だけを考えていればよいわけではなくなる。
かといって生活だけを優先できるわけでもない。
仕事か生活かではなく両方を抱えたまま
どう折り合いをつけていくか。
その複雑さを引き受けるために
ワークライフバランスという考え方が必要になったのだと思う。
社会に根付いたのは
理想だからではなく必要だからだと思う
この言葉が広く使われるようになったのはなぜか。
必要だったからだと思う。
働きすぎで体を壊す人がいる。
仕事と家庭の両立ができずに離職する人がいる。
子育てや介護が始まった途端に
それまでの働き方が続けられなくなる人もいる。
つまり働くことは個人の根性だけで支えられるものではなくなってきた。
個人の努力でどうにかしろでは済まない場面が増えた。
ワークライフバランスという言葉はその時に便利だったのだと思う。
働くことと生きることを別々ではなく、
ひとつの現実として考えるための言葉だった。
ただバランスという言葉は少し誤解されやすい
ここで少し引っかかるのは「バランス」という言葉の響きだと思う。
この言葉を聞くと仕事と生活をきれいに
半分ずつに分けることのように見えるし聞こえる。
あるいは仕事を減らして私生活を増やすことのようにも聞こえる。
けれど本当にそうだろうか。
仕事に集中する時期があってもいい。
家庭に重心が寄る時期があってもいい。
介護や育児でどうしても生活側に比重が寄る時期もある。
逆に挑戦したい仕事に時間を寄せたい時期もある。
そう考えるとバランスという言葉を、
均等という意味で受け取ると少し考え方や生き方が窮屈になる。
大事なのはきれいに半分ずつにすることではなく、
その時の自分にとって無理のない重心を持てているかどうかなのだと思う。
人生のフェーズが変われば、
働き方の正解も変わる
若い頃には若い頃の働き方がある。
多少無理をしてでも前に進みたい時期がある。
経験を積みたい。覚えたい。
まだ見えていない景色まで行ってみたい。
そういう気持ちが前に出る時期である。
けれどそれがそのままずっと続くとは限らない。
家族を持つ人もいる。
子どもが生まれる人もいる。
親のことが現実味を帯びてくる人もいる。
自分の体の変化に気づき始める人もいる。
老後という言葉が急に遠い話ではなくなる人もいる。
そうなると働くことの意味も変わってくる。
前に出ることより続けられることが大事になる時期がある。
収入の高さより時間の柔軟さが必要になる時期もある。
やりがいより無理がきかないことのほうが現実になることもある。
その意味でワークライフバランスは誰にとっても同じ形ではない。
人生の段階によって違って当然なのだと思う。
結局この言葉は正解を
教えるためのものではないのかもしれない
ここまで考えてくるとワークライフバランスという言葉は、
ひとつの理想形を示すためのものではないように思えてくる。
仕事をこれだけ。
生活をこれだけ。
そういう配分表のようなものではない。
むしろその時の自分の状況に合わせて、
働くことと暮らすことの
折り合いを探し直していくための言葉なのではないか。
仕事が前に出る時期があってもいい。
生活が前に出る時期があってもいい。
思うように整わない時期があってもいい。
そのたびにどこに重心を置くかを考え直す。
本来のワークライフバランスはそういう動き続けるものなのだと思う。
仕事と生活を分けるのではなく
その時々で折り合いをつくる
ワークライフバランスという言葉が広まったことで、
社会は少しずつ仕事だけが人生ではないという前提を持つようになった。
その意味でこの言葉には役割があったと思う。
ただこれから必要なのは、
バランスという言葉を均等という意味で
受け取らないことかもしれない。
その時々で自分にとっての折り合いを探し直していく。
本来のワークライフバランスは、
そういうものなのではないかと思う。
最近の言葉に見えて実はずっと前から必要とされてきた。
きれいごとに見えて
かなり現実的な事情の中で根付いてきた。
そしてひとつの理想形があるように見えて本当は人によっても、
時期によっても大きく違っていていい。
その時の自分に合う形を探していくものなのだと思う。